スローシティ100のキーワード

「スローシティはおもしろそうだけど、よくわからない」という声をよく聞きます。そこでいくつかのキーワードを手がかりにしながら、スローシティ(イタリア語ではチッタスロ―)とはどのようなものかを理解を深めていきたいと思います。

何気ない風景もその街らしさの一つになる
イタリア・トリエステの坂道 2006年8月 鈴木鉄忠撮影

キーワード(1) only one

 スローシティを一言で表するとしたら、このフレーズが最もふさわしいかもしれません。

 2000年代初めに大ヒットした曲の一つが「世界で一つだけの花」でした。「No.1にならなくてもいい。もともと特別なonly one」という歌詞は、当時の時代の空気を見事に表現していました。我慢を重ねて1番を目指すよりも、その人らしく生きる方が幸せではないだろうか。バブル経済があっけなく崩壊し、競争社会への疑問が広がり始めた頃、多くの心に響いたメッセージが「もともと特別なonly one」だったといえます。

 1999年にイタリアの小さな町から始まったスローシティ運動も、こうした時代の空気のなかで生まれました。この取り組みを日本に最初に伝えたノンフィクション作家の島村菜津さんは、スローシティの特徴をある寓話から説明しています。イタリアの国民的作家イタロ・カルヴィーノの名作『見えない都市』に出てくる次のような都市の話です。

トルーデの地を踏んだとき、大きな文字で書かれたこの都市の名を読んでおりましたら、私は自分が出発して来たばかりの同じ空港に到着したと思いこむところでございました。延々と通り抜けさせられるその郊外は、黄と緑の色を帯びた同じ家並みの、あのもう一つの郊外と異なるところはございませんでした。

カルヴィーノ『見えない都市』(米川良夫訳)河出文庫、166-167頁

 トルーデは架空の都市です。しかし「せっかく電車や車や飛行機を乗り継いで遠い場所まで来たはずなのに、代わり映えのしない風景だな」と思ったことはないでしょうか。この寓話の旅人も同じ印象を抱きます。そして「なぜトルーデに来なければならなかったのか?」と自問し、しまいには「はやく立ち去りたい」とさえ思うようになります。するとトルーデの人はこのように返答したのです。

しかしまた何から何まで同じもう一つのトルーデに着くのです。世界はただ一つのトルーデで覆いつくされているのであって、これは始めもなければ終りもない、ただ飛行場で名前を変えるだけの都市なのです。

カルヴィーノ『見えない都市』(米川良夫訳)河出文庫、166-167頁

 ここでトルーデは、個性を失った都市の象徴です。もはや小さな都市は「No.1」を目指すどころか、何の変哲もない「nothing one」に成り下がるかもしれません。スローシティ運動はまさに「世界のトルーデ化」「世界の均質化」を小さな町から変える運動として始まったのです。

 イタリア語には「チッタ・ウニカ(città unica)」という表現があります。「世界のどこにもない、唯一無二のユニークなまち」という意味で、通常は「水の都」ベネチアの独特の美しさを讃えて使うことが多いです。しかし、世界屈指の観光地ではなくても、「チッタ・ウニカ」を感じられる町がイタリアにはあちこちにあります。

 2006年に私の留学したトリエステは、イタリアの最東北に位置する国境の町でした。観光都市でもスローシティでもない地方都市です。地元の人々の話を聞きながら驚いたのは、自分のまちの魅力や誇りを胸はって語るすがすがしい姿でした。「ここには素敵な海辺に面した広場がある、カフェがある、ハプスブルク家の長い歴史と文化がある…」と、自分のまちのことをよく知っているのです。ローマやミラノといった大都市の「ないものねだり」をして、うらやむことをしません。大都市への対抗意識もとくに感じられず、自然体で「うちの町が一番いいね」というのです。

 トリエステの街は、日本では須賀敦子さんの珠玉のエッセイ『トリエステの坂道』でよく知られるようになりました。鋭い観察眼と想像力あふれる須賀敦子さんの作品を読み進めると、観光名所やランドマークでなくても、普段の街の風景や人びとの日常のたたずまいが、その町らしさを作り出していることに気づかされます。通り過ぎてしまうような坂道ですら、「チッタウニカ」の一部になりうるのです。

 イタリアの他の街や地域でも、同じような経験をしました。「それで君の地元のヨコハマのまちはどうだい?」と聞かれても、私は十分に答えられないことが多くて、恥ずかしい思いをしました。地元は観光名所には事欠かないまちのはずですが、「実家がある場所」以外に特別な感情をもっておらず、誰かに語るべきものも持っていなかったからです。

 スローシティは、「チッタ・ウニカ」を目指すまちづくり運動といえます。大都市のマネをするのでも、ライバル都市と人口の多さやビルの高さを競争するのでもなく、「このまちにしかないものは何か」「このまちでしか会えない人はだれか」「このまちでしか体験できないことは何か」といった問いをまちの人びとが掘り下げます。それによって、まちの序列化(魅力度ランキングなど)と世界の均質化(トルーデ化)を慎重に避けながら、まち本来の姿に組み直す草の根の運動です。

 2022年現在、世界の287の都市・地域がスローシティ国際連盟に加盟しており、日本では宮城県の気仙沼市と群馬県の前橋赤城エリアが「世界の個性化」を目指すまちづくり運動に加わっています。

参考文献

I.カルヴィーノ 2003 『見えない都市』 (米川良夫訳) 河出文庫

島村菜津 2013 『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』 光文社新書

須賀敦子 1998 『トリエステの坂道』 新潮文庫

(2022/8/27 鈴木鉄忠)